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仕事に活きる論語の教えとは?これだけは知っておきたい孔子の言葉

中国で生まれた思想に儒教があります。

儒教は思想ですが、宗教として信仰されてもいます。儒教にはその教えを書き記した様々な書物がありますが、様々な孔子とその弟子のやり取りを通して書かれた書物に論語があります。

子曰く、で始まる冒頭は非常に有名で高校の漢文で習ったという方も多いと思います。この論語は中国から日本に入ってきて、朱子学を通して武士道にも取り入れられて、日本文化にも多大な影響を与えたため企業文化の形成にも影響を与えてきました。

今回は論語を通して見る現代の仕事について書いてみます。

もくじ

【論語の基本情報】どのような書物?誰が作ったもの?

儒教では論語は孟子、大学、中庸と並んでと四書とされており、この四書は儒教を学ぶ方々にとっては必須の書物です。

論語は孔子との会話を通して実際に起こった出来事などを分析し、そのような場合にはどう行動すべきか、その行いや出来事は一体どのような意味を持つのかなど洞察力に富んだ考察がなされています。

孔子の生まれた時代紀元前552年とされておりますので、現代とは文化も文明も価値観も大変異なります。しかし、論語の内容はそのような時間や文化、文明的な隔たりを感じさせずに現代人が読んでも共感が得られる素晴らしい内容であると言えます。これは今でも多くの方々に愛され読まれ続けていることからも垣間見えます。

論語中からは様々な名言が生まれています。誰しも一度は聞いたことがあるような言葉で論語由来の者は多いです。

例えば温故知新などはほとんどの方が聞いたことがあるかと思います。

これも論語由来で古い事柄でもよく知れば新しいことが学べるのだ、という意味です。しかし、その後の語句は意外に知られてなく、可以為師、とあります。つまり、古い事柄から学ぶことが出来る人こそ知恵のある人物で人を導く師となり得るのだ、と孔子は言っているのです。

おっしゃる通りと思わず納得してしまいますが、このような含蓄ある珠玉の教えが至る所にちりばめられているのがこの論語なのです。

礼を重んじる儒教の教えは仕事にも活きる

儒教には五徳があります。

五徳は仁、義、礼、智、信からなり、これは孝、悌、忠の実践として表されます。つまり、徳のある人には五徳が備わっており、孝、悌、忠の実践を通すことで徳の高い行いができているとされています。さらに、礼を重んじて各種経典を信奉すると共に、その内容の実践を行います。

儒教では徳の高い人物として古代の帝たちが描かれていますが、この時代の帝たちは徳の高い政治を行い、徳によって世が治まっていたとされて儒教が主張する徳治主義の根拠とされています。

この古代とは具体的には紀元前2000年頃の時代を指しており、この時代が儒教では理想の時代とされています

論語を作成した孔子とは?帝との関係性とは?

孔子は中国の春秋戦国時代の魯と言う国の宰相でした。

論語には孔子は、15歳で学を志し、30歳で立ち、40歳で惑わされず、50歳で天命を知り、60歳で人の言葉が素直に聞けるようになり、70歳で思うように振舞っても道を外れないようになった、とあります。

同年代に生きたとされる老子の、大器は晩成する、という言葉がぴったりで、若い時には不遇でしたが歳を経るごとにその名声は高まりました。

孔子自体も非常に徳の高い人物であったと思われますが、その孔子達儒者が理想とした徳の高い人物が古代に生きていたとされます。それが帝舜(ていしゅん)や帝堯(ていぎょう)です。

考古学的には帝舜も帝堯も存在したという証拠はありませんが、中国各地で様々な伝承が残れており、実在しなかったにしろそのモデルとなった人物や出来事があったのではないかと推測されています。

舜帝にみる「徳」の高さとは?孔子が参考にした理想の生き方

帝舜は司馬遷の書いた史記の一篇である五帝本紀から五帝の次の時代を記述した夏本紀に跨って書かれています。

史記は漢代に書かれた歴史書ですが、この歴史書は五帝と言う古の帝たちの話から始まっています。五帝とは帝たちの中でとりわけ徳が高かった五人の人物を指しており、この中でも最も多くの説明がなされているのが帝舜です。

帝舜は虞舜と言い幼いころに母親を亡くしてしまい、その後父は再婚しました。そして再婚相手との間に子供ができると舜は家族全員から目障りな存在とされてしまいました。その仕打ちは酷く、父と弟は何度も舜を殺そうとしたと言います。

この時舜は自分が死ぬことは厭わなかったのですが、父親と弟に罪を犯させたくないという一心で苦難を乗り越えました。しかしそのような仕打ちを受けながらも舜は息子として父と弟に最後まで忠孝を尽くしましたと五帝本紀には書かれています。

舜のいる所は一年で集落ができ、二年で邑に、そして三年で都になったと言い、舜には人を惹きつける魅力があったことを伺わせます。

当時の中国では、帝位は自分の息子や親族ではなく徳の高い人物へと禅譲されていたのですが、当時の帝であった堯が後継者を選ぼうとしたところ、舜を推薦されました。その時すでに舜の名声は轟いており、堯も舜ならば適任であろうと舜を登用しました。

舜は堯に見出されても堯に対して忠心を持ち、また民にも誠心誠意尽くし働いたと言います。やがて堯が崩御し舜が帝位を引き継ぐと、その徳により舜の治世は豊かで平和であったと言います。

さらに当時としては大事業で、それまでのどの帝も成し得なかった黄河の治水を舜の後継者の禹に命じて成功させ、人々の暮らしはより安全にそして豊かになったと言います。

徳を以て世を治めるという言葉を体現していたのがこの帝舜でした。

孔子との関係が深かった麒麟の正体

孔子は中国で瑞獣、即ち縁起のいい生き物と言われる麒麟と関係が深く、孔子の生まれた日に孔子の家に麒麟が現れ、この子供は将来大人物になると書かれた玉書を吐き出したと言います。

孔子の晩年にも麒麟は現れました。魯の将軍たちが狩をしているときに奇妙な生き物を捕まえました。

皆不気味がってその動物を放置して帰ってしまいましたが、そこに孔子が通りかかると、その生き物が麒麟であることに気が付きました。そしてこの時孔子は誰もその生き物が麒麟であるとわからず、さらに太平の世に現れるという瑞獣である麒麟が春秋戦国時代という乱世に現れたことに違和感を持ち、世の変化を憂いそれまで書いていた春秋の筆を置いたと言います。

春秋はこの獲麟(かくりん)の故事で終わっています。日本ではビールやアフリカのサバンナに住む首の長い方のキリンのイメージが強いですが、意外にも孔子との関係が深かったのです。

因みに、サバンナに住むキリンに伝説上の生き物である麒麟の名がつけられたのは明時代の鄭和艦隊(ていわかんたい)に由来します。

鄭和に率いられた船団は何とアフリカにまでたどり着き、その土地の王様から麒麟やライオンなどを譲り受け、中国に持ち帰りました。その動物たちを見た中国の人々はびっくり仰天し、この動物たちこそ古代より伝わる霊獣たちに違いないとして霊獣に因んだ名前を付けました。その一つが麒麟なのです。

麒麟は中国の民間信仰中で人々の生活に深く根差しており、徳のある人物の家には麒麟が住んでいるとして、徳の高い人物になるように願いを込めて自分の子供をその人の家に行かせて麒麟に会わせる、いわゆる麒麟送子(きりんそうし)などの伝統もあります。

仕事に活きかしたい二つの教え!論語に学ぼう!

役職や職種に関わらず論語の中で是非とも肝に銘じておきたい言葉があります。

それは、「過ちて改めないことが本当の過ちだ。」です。

失敗から学ぶことはビジネスマンにとって非常に大切なことです。特に若い頃の失敗などは失敗とは言えず、自分を向上させるための貴重な経験となりますので逆にチャンスになります。

失敗はしてしまった後、その失敗とどう向き合うかが大切なのです。誰しも失敗や過ちは犯してしまいますが、それらのミスから学び、二度と繰り返さないように改善することこそ大切で、改善しないのならばそれが本当の過ちです。

この言葉を肝に銘じて、失敗した後はその失敗の原因を分析し、再び繰り返さないようにしっかりと改善したいですね。

もう一つの言葉は、「義を見て実行しないのは勇気がないからだ。」です。

義は事柄によって大小ありますが、社会通念上正しいと思う行為を行うことです。例えばお年寄りが電車で立っているのを見たらそこには義があるはずですので、そのお年寄りに席を譲る行為を行うことなどです。

実際にそういう場面を見てもなかなか声をかけにくいですね、そこをぐっと抑えて声をかけることが勇気のある人間だ、ということです。また、時折不正を告発した、などというニュースを聞く場合がありますが、なかなかできるものではありませんのでそういう方は義の心が強いと言えます。

一方で、仕事は利益を追求する経済活動ですので、仕事を行っている限り耳の痛い言葉もあります。

例えば、「君子は正義にあかるく小人は利益にあかるい。」などです。もちろん、不正を見逃さずに公平さを保つ正義は必要ですが、サラリーマンとしてはついつい儲け話には耳を傾けてしまいますね。

論語や儒教が注目されている理由と見直したい現代社会

古来より武家社会が続き、その中で朱子学を通して儒教が取り入れられ日本社会に広がり敬われてきました。その影響は社会の常識などにも残っており、当然現代の会社や学校でも儒教の影響を感じ取ることが出来ます。

例えば、年上を敬え、など多くの方々が儒教の影響だと感じることでしょう。これは先輩と後輩の関係でもあり、後輩は先輩に敬語を使い、敬います。

しかし、これは年上が条件なしに偉いという訳ではありません。後輩は先輩に忠孝を尽くしますが、同時に先輩は後輩に対して仁の心、即ち優しさを持って慈しみ、義の心を持って後輩を守るものなのです。

この仁義と言う考え方がすっぽりと抜け落ちていたら先輩や後輩という関係はむしろ無い方がよく、悪い伝統と言わざるを得ません。日本の先輩と後輩の関係に納得がいかないという話はよく耳にしますが、こういう基本的な事柄が忘れ去られているために無意味に感じてしまっている側面もあると推測されます。

会社においても儒教に根差した企業文化であるならば、仕事の人間関係はその職位や年齢に応じて五徳をわきまえて構築されるべきであり、この心構えと共に作られた会社こそ儒教や老荘思想における最上位の特質である徳のある会社となりうるのではないでしょうか。

しかし、現在では儒教は形骸化されており、その形式のみが残っていると言わざるを得ません。仁や義の心を持って仕事をされている方や、忠の実践により上司や会社に仕えている方々もおられ、人間的にも素晴らしい方はおられますが、このような方々は社会全体で考えると少数となっているのが現状です。

そして、儒教の衰退に伴う形骸化により五徳が失われた現在では儒教は無意味というよりむしろ社会に悪影響を与えていると感じます。徳のない人間が儒教を語るべきではありません。論語を語りその価値観を実践する前に五徳をしっかりと持つことが何よりも大切なのです。

まとめ

儒教や論語を学ぶときには文字や形式だけではなく、儒教の根底にある様々な心構えもしっかりと学び、仁の心や義の心などの五徳も同時に習得したいところです。

善意で成り立つ社会があればそれに越したことはありません。近年では様々な法律や規則で規制されてしまい、何をするにも制限がついていますが、孔子や老子が理想とした徳のある社会ではこのような規則は必要ありません。

なぜなら規則が無くても問題なく成立する社会だからです。もちろん、複雑化された現代社会では実現が難しいかもしれませんが、社会においても非常に大切な考えであることには変わりないと思います。

仕事に論語を活かす、これは即ち孔子の教えを学び、徳のある人物へと成長を遂げる第一歩でもあるのです。

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