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孫子に学ぶ仕事の要諦とは?ビジネスマンの必読書を解説します

孫子の兵法書は古くから世界中で読まれてきた書物です。孫子は兵法書を書いたというだけあり、戦いに明け暮れてきた人物であると思われる方も多いかもしれません。

これは現代社会に当てはめると社員を酷使するブラック企業と重なって見えるかもしれませんが、孫子自体は戦争はやらないに越したことはない、さらに人の命は戻らないので将は兵を慈しみ家族同然に接することを説いているのです。

孫子の兵法書はどうすれば戦争に勝てるのかを書いた書物ですが、一方でその深淵な内容と現代でも通じる考え方を現代社会の仕事に当てはめて考えてみましょう。

古の時代に書かれた孫子の兵法書とはこのような書物

孫子の兵法書を書いた孫子は春秋戦国時代に生きた呉の名軍師です。春秋戦国時代は紀元前770年から始まり、紀元前221年に秦の始皇帝が史上初めて中国を統一したことにより終わりを告げます。孫子はこの時代に生き、斉の桓公や晋の文公などと並んで春秋五覇の一人として数えられる呉王闔閭(こうりょ)とその息子である夫差(ふさ)に仕えました。夫差はライバルの越の勾践(こうせん)を倒そうと、また勾践も夫差を倒そうと臥薪嘗胆の日々を送ったことでも有名です。しかし、夫差と孫子の関係は良好とは言えず、孫子は身の危険を感じ取り、夫差に仕えることを辞めて身を引いたと伝わっています。その横暴さから孫子を始め有能な人材を失った夫差は最終的に勾践に敗れています。

孫子の本名は孫武と言い、孫子はその敬称です。呉は当時、長江下流域一帯に勢力を築いていた小国でありましたが、孫子が呉陣営に加わるとその軍略を得て軍事大国へと発展を遂げました。特に闔閭の時代には隣国の強国楚を元は楚の重臣で呉に亡命してきた伍子胥(ごししょ)など有能な人材と共に楚を滅亡寸前まで追い詰め、小国であった呉を春秋五覇に数えられるまでに至らしめました。孫子の生きた時代は有名な思想家である儒教の孔子や道を説いた老荘思想の老子が生きていたとされます。司馬遷の史記によると孔子と老子は会って話をしたことがある、と書かれていますが果たして事実なのでしょうか、興味が湧きますね。

孫子、孔子、老子は諸子百家が百花繚乱の如くひしめいていた春秋戦国時代でもダントツに知名度があり、後世に多大なる影響を与えた人物です。この偉人たちが同時代に生きたことは何かの縁でしょうか。孫子は生涯に渡り兵法の研究を行い様々な陣系などを開発したと言われていますが、実は孫子の兵法書の原文は残っておらず後世の人物が注釈を行った内容などが残っているだけです。この孫子の兵法に注釈を行った人物こそが三国志で有名な魏の曹操で、曹操の注釈本が今でも残っています。曹操は孫子の兵法書の愛読家としても知られています。

中国での兵法の歴史は古く、三皇五帝と言う伝説上の帝の時代に遡ります。五帝の中に黄帝と言う偉大なる帝王がいました。黄帝は今から4500年ほど前に生きたと言われており、その功績により中国では人文の祖と呼ばれ尊ばれてきました。この黄帝の部下の軍師に風后という人物がいたとされます。この風后が考案した陣形が握奇陣(あっきじん)です。握奇陣は兵が集まり円形になるいわゆる円陣ですが、この握奇陣は後世に改良されて孫子で言う八卦陣、そして三国志で有名な蜀の諸葛亮が得意とした八陣へと繋がっているとも伝えられています。

孫子の兵法は13編からなり、それぞれの篇で計略や地形など個別の内容について詳細に書かれていますが、具体的な戦いよりも戦いの準備を行うことの大切さを説明することに多くの篇が割かれているのです。この準備が必要であること、情報が大切であること、相手のみではなく自分を知ることの大切さなどを説いた内容が、現代社会での仕事との共通項を与え、現代社会に生きる我々にも読むべき価値を与えてくれます。

孫子を呼んで共感を得やすいのはこのような方たち

孫子の兵法は基本的に職位が上がれば上がるほど参考になると思われます。これはつまり、職位が上がるほど自分に与えられた部下の数が多くなりプレイヤーとしてよりも指揮官として部下をまとめ手足の如く動かす能力が求められるようになるからです。この部下たちを上手く使いより高い利益を上げる、この現代の企業が必要としていることが孫子にも書かれています。また、孫子の兵法書には兵たちを大切にするようにと書かれています。自分が大切にされると多くの人は感動し、より働こうとするという戦争と仕事に共通する原理です。企業を発展させた経営者の多くは社員を大切にし、会社を大きくしてきたことからも明らかです。さらに孫子には戦争は行うべきではないとし、戦争は最終手段であるので最後の最後まで戦争回避に向けて努力をすることが明君、良将の務めであることを記しています。是非とも参考にしたい考え方ですね。

孫子と同年代に生きた大思想家である老子の教えに、兵は不祥の器にして君子の器にあらず、とあります。軍を用いることは不吉ですので君子が用いるべきではない、という意味です。孫子の戦争を回避することが明君であるという考え方は、君子は徳を以て世を治めることを説いた老子の教えに通じており、孫子がただの兵法学者ではなく偉大な思想家でもあったことを伺わせます。現代の仕事においても戦争に例えられるような出来事は起こさないことが一番であり、それが良い経営者、良い上司の務めであると読み替えることが出来るのです。最後の最後まで回避する努力をして、どうしようもない場合には周到な準備の下で徹底的に戦います。

仕事の要点である情報の大切さをいち早く認識していた孫子

日本の戦国時代、尾張の守護大名の一分家に過ぎなかった織田信長は、その強大な敵であった駿河の今川義元を桶狭間で打ち破りました。圧倒的な駿河の軍勢を前にして桶狭間の戦いに勝利することが出来たことに対しては現在でも様々な分析や見解がありますが、この桶狭間の戦い、そしてこの後の織田信長を天下統一まで一気に押し上げる原動力となったことに情報の大切さがあります。信長は桶狭間の戦いでしきりに斥候を出して今川義元の居場所を探させました。そして義元が桶狭間にいると知るや否や、全軍で桶狭間へと急行し、奇襲を仕掛けました。

この奇襲が大成功を収めて今川義元を打ち破ったのです。孫子で言う、敵を知り己を知れば百戦危うからずです。敵の戦力分析と自軍の戦力分析をしっかりと行うことが出来れば、最低限敗北することはないであろう、ということです。信長は情報を得ることにより敵と自分の戦力の分析をしっかりと行っていたからこそ勝算が持てたのでしょう。その結果の桶狭間の勝利だと言えます。その後も信長は情報を巧みに利用して戦争に勝利し、領土拡大のみならず交通、商業の要衝を押さえて経済力を蓄え強大な軍隊を作り上げます。この情報戦は孫子と信長という稀代の名将たちが共通して大切であると認める点なのです。

現代社会ではこの情報の大切さはより重要となっていることは言うまでもなく、情報収集のみではなく情報を上手く使い利益を上げ、時には情報に基づき経営リスクを回避することが経営戦略としても重要になります。古代の文明がまだまだ発達していない時代にこの情報の大切さを説いている孫子の先見性に尊敬の念を持っている方は多いことでしょう。

戦争と経営、一見すると相反する事柄に潜む共通点

戦争とビジネス、これらは相反する事柄に思えます。ビジネスは戦争ではないので最前線に立って命の危険にさらされるという訳でもありません。しかし、孫子を読んでみるとこの両者には多くの共通点を見出すことが出来ます。孫子には戦争は人民を傷つけ国土を荒廃させ、破れれば国家滅亡の危機に瀕するので戦争は行うべきではない、と書かれています。大切なことは国家であり、その国家を構成する一要素である国民なのです。そしてその国民を大事にすることが大切であることを説いています。会社に置き換えてみると、会社を支える社員を大切にすることに通じるのです。

例えば経営者が無謀な経営をすると会社は疲弊し、そのしわ寄せは社員に押し寄せてきます。やがて会社が倒産すると社員たちは路頭に迷ってしまいます。中国の詩人である杜甫の詠んだ春望の冒頭の一節、国破れて山河在りという事態になってしまいます。これは経営者としては絶対に避けたい結末です。一方で、戦いを行う時には最大限準備し、そして情報を集めて最大の戦力を以て戦いに挑みます。加えて、兵力を分散させることは戦闘力を極端に減少させてしまいますので、その愚行は避けるべきだとも説いています。現に歴史上で兵を割いて敗北した例は沢山あります。しっかりと事前調査を行い細部にわたって準備を行い、必要なリソース、有能な人材を分散させず一か所に集中しいたずらに時間を消費せずに一気に勝負をかける、これは社運を賭けたプロジェクトを行う時などに参考にできる考え方です。

孫子に学ぶべき現代社会にも通じる会社経営

風林火山とは戦国時代の甲斐の武田信玄の旗印として有名です。これは孫子兵法第七篇の軍争篇に書かれている言葉が使用されています。疾きこと風の如く、徐かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如しですが、実は孫子にはもう二句あり、知りがたきこと陰の如く、動くこと雷霆の如し、が抜けていますので正式には六つの句から成り立っています。この意味は、勝負をかける時には風のように素早く、そして火のように勢いに乗じて、さらには雷のように敵の虚をついて行動することが肝心であり、一方で普段は林のように静かにし、また困難が生じても惑わされず山のようにどっしりと構え、さらには陰のように動きを悟られないようにすることが肝心であると書いています。

軍の行動と会社のあり様、これらは共に風林火山で共通しており武田信玄の人気も相まって我々には馴染みやすい考え方だと思います。動かないときには徹底して動かずに余計な労力を使わず目立たないようにする、しかし、一方で動くときには徹底して動く、このメリハリが大切です。朝令暮改と言ったように何度も指示を変えてしまうと社員たちは混乱し、どうせすぐ変わるからと言って誰もが業務命令を無視しだすかもしれません。仕事にメリハリをつけるためにも一度業務命令が出ると部下や社員たちがそれに集中して仕事をするようになる環境を作り出すことが大切ですね。

歴史を通してみる虚をついて戦う名将たち

漢の名将韓信は趙国と戦ったときに、圧倒的な兵力の劣勢にもかかわらず食料を川に捨てさせた挙句に、川を背にして陣形を敷いたと言います。戦略上逃げ場のない川を背後にするこの陣形は行ってはならない下策とされますが、逃げ場を失った韓信軍は死に物狂いで戦い、何と趙軍に勝利してしまったのです。これは実は孫子の兵法にもあり、兵たちを死地に赴かせる時には故郷に帰りたいという気持ちをあきらめさせ里心を無くすことで、死に物狂いで戦う兵が出来上がるとあり、韓信はこの考えを応用したとも言えます。

日本では越後の軍神として伝説となっている上杉謙信も武田信玄との川中島の戦いで逃げ場のない袋の鼠となってしまう妻女山に登り、補給路を自ら断ってしまうという一見愚行に見える場所に陣を敷きました。この時謙信は戸惑う家臣たちに、海津城に籠って動く気配のない武田軍に対して上策には下策を以てあたる、と言ったと伝わっています。信玄軍は妻女山の謙信軍をそのまま包囲すればやがて兵糧が尽きて勝てた可能性があったのですが、信玄はまさかあの謙信が無策のはずがない、と惑わされたのか戦いの結果は引き分けに終わりました。この時、信玄軍は山本勘助の策に従い戦力を分散する危険を冒してまでもキツツキ戦法を使用しましたが、夕飯の準備の煙の量が多いことから攻撃を察知した上杉軍によって翌早朝に武田軍の本陣が攻撃され有名な信玄と謙信の一騎打ちが行われたと言われています。

謙信が動かない信玄をおびき出すために敢えて行った作戦でしたが、武田信玄相手に下策を用いることなど上杉謙信が傑物であることを伺わせますが、この謙信の下策により結果的に信玄は判断を誤ったと言えます。この他にも後の豊臣秀吉である木下藤吉郎の墨俣城築城や諸葛亮の空城の計など相手の虚を突く作戦が功を奏し、大きな結果をもたらすことがあります。これらの作戦は孫子兵法の第六篇の虚実篇に見られる、敵の虚を突く戦い方です。仕事においても正攻法では上手く行かない場合には虚をついて仕事を進めることも時には必要になり、様々なアプローチができることは戦い、仕事問わずに有能な指揮官の条件と言えるでしょう。

まとめ

孫子の兵法は実戦的のみならず思想的でもありますので現代社会に生きる我々にとっても十分に読む価値はあります。

仕事は戦争ではありませんが、この弱肉強食の競争社会においては通じる部分が多々あるのです。日本のみならず世界でもこれまで様々なカリスマ的な経営者が出てきましたが、その経営手法は孫子の兵法に通じている場合が多くあります。

孫子の兵法は人を使うという観点から、経営者の方々や管理職の方々に参考となると思いますが、一方で若手の方々も会社での将来に向けて戦略を勉強しつつ日々の仕事に生かすことも可能です。

温故知新という言葉がありますが、古い事柄を調べているとそこに新しい発見が見いだされる、この孫子を読んでいるとまさに温故知新という言葉が当てはまります。

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