戦後の世代を表す言葉には、団塊、しらけ、新人類、バブル、団塊ジュニア、ロストジェネレーション、ゆとり、さとり、つくし、などがあります。団塊の世代は自己主張が強過ぎるとか、無能だとか、バブル世代は金銭感覚がおかしいとか、ゆとり世代はやる気が感じられないとか、世代ごとにひとくくりにして話題に上がることが多いようです。特に日本人はこの手の分類を好み、どちらかと言うと、快く思われない部分をクローズアップしています。これら世代の中で最も人数が多いのが団塊の世代ですが、この団塊の世代の人々は実際に自己主張が強過ぎるのでしょうか?無能なのでしょうか?世代毎の傾向を話題にする意味は何かあるのでしょうか?
もくじ
封建的な価値観と欧米の影響の中で育った幼少期
団塊の世代とは、1947年(昭和22年)から1949年(昭和24年)生まれの人たちのことです。有名人には、北野武、星野仙一、鳩山由紀夫、赤川次郎、五木ひろし、鳩山邦夫、舛添要一などがいます。第二次世界大戦が終わり、日本は復興への道を歩みはじめ、出生数が激増した時、第一次ベビーブーム時代に生まれた人たちです。この世代の人々の親は明治・大正時代に生まれた人が多く、恐らく戦前の封建的な考え方、教えのもとに育てられた人が少なくありません。大家族で、まだまだ物資は豊富ではなく、年功序列、年上の人の言うことには絶対従わなければならないような環境であったことが想像されます。同時に、戦後日本に入ってきた欧米の影響も強く受け、まさに変化の渦中にあったと言えます。
子供の頃は大人から「日本を再建しなければならない。それはお前たちにかかっている。」と未来を担うであろう彼らに過剰な期待が寄せられたことでしょう。そんな団塊の世代の人たちが学生だった頃、まず小学校では余りにも人数が多いのでクラス数が二桁のところが多く、午前の部と午後の部の二部授業もあったと聞いたことがあります。人数が多すぎるのですから、自然と競争が激しくなります。まだまだ貧しい家庭も多く、自らどうにかしなければならない、目立たなければ埋もれてしまう、そんな状況でした。自己主張しないと、存在にも気づいてもらえなかったのかもしれません。そう考えると、団塊の世代に自己主張が強い人が多いことも納得できます。
高度経済成長を支えた金の卵たちであった団塊の世代
小学校を卒業するとほとんどの人が中学までは通いましたが、中学を卒業すると働く道に進んだ人もかなりいました。これは、1947年生まれの人たちの高校進学率66.8%という値からも伺い知ることができます。地方の中学卒業者たちは地元ではあまり就職先がなく、上京して集団就職しました。毎年、桜の咲く季節の上野駅は、中学を卒業し集団就職のため上京した少年少女で溢れかえっていたそうです。彼らは金の卵と呼ばれ、高度経済成長を支えました。学力が高くても家庭の経済的理由で高校進学を断念する若者が多く、彼らが企業での戦力となったのです。
若くして働き、自立していった彼らが、地に足のついた、力強い社会人となっていったことは想像に難くありません。高校に進学した人たちも、卒業するとほぼ就職です。当時の大学進学率は20%程度でした。こうして、中学、高校、大学を卒業した団塊の世代の人たちが次々と社会に出て、高度経済成長の担い手となりました。団塊の世代と言うと、学生運動も連想されがちですが、実際大学に進学した割合を考えると、学生運動に関わった人は多くありません。絶対人数が多いため、同世代のほんの一部の人がしていたことも、その世代の多くの人がしていたように誤解されている部分がかなりあります。
所得倍増計画の中でも重要な役割を果たした団塊の世代
1960年、池田内閣の下、国民所得倍増計画という長期経済計画が策定されました。これは10年間で国民所得を2倍にするという宣言で、9%の経済成長を10年間続ければ、国民総生産・国民所得が倍になるという計算です。実際、予想を超えて日本は年平均10.9%の成長を続け、計画以上に日本は高度経済成長を続けました。ここで、多大な役割を担ったのが団塊の世代です。やればやるだけ成果が出ると身をもって体験した彼らが、気合と根性論を説くのもわかるような気がします。実際、当時はやればやるだけ成果が出ました。経済は右肩上がりに成長していました。辛くても苦しくても頑張れば必ず見返りが期待できたのです。
年功序列、終身雇用制度のなか、企業戦士となり、家庭を顧みず仕事に没頭していた人も多いですが、そんな彼らは豊かな老後の未来を描いて、そこに向けて頑張り続けていたのかもしれません。その後、オイルショックを機に経済は低成長期となりますが、ちょうどその頃団塊ジュニアと呼ばれる団塊の世代の人たちの子供が生まれました。子供を持ったこと、子供を育てることも団塊の世代の人たちの努力・気合・根性を更に奮い立たせる理由となったでしょう。いずれにしても1947年から1949年までの3年間に生まれた約806万人の人たちが日本の経済成長に欠かせなかったことは言うまでもありません。
中高年になり平成不況期で逆風にさらされた団塊の世代
団塊の世代の人たちが50歳になった頃、日本経済は急激に失速しました。景気が悪くなると企業は雇用を減らさざるを得ず、その対象になってしまったのが団塊の世代の人たちです。給与もそれなりの金額になっている中高年の雇用を減らす方が、若い人の雇用を減らすより効果があったのでしょう。この時期は年間自殺者数が3万人に達するほど世の中が暗くなりました。その後、消えた年金問題が発覚したり、リーマンショックが起きたりと、描いていた豊かな未来のイメージを壊す出来事が次々と彼らに襲い掛かります。
一度職を離れてしまうと、同じレベルの給与を得ることが難しくなり、こんなはずではなかったという状況に陥ってしまった人たちもいます。内閣府の調査によると、団塊の世代の世帯年収の分布は年収720万円以上が8.6%いる一方、年収120万円未満が8.3%と所得格差が大きいです。貯蓄額の分布状況も2000万円以上の貯蓄を保有しているのが22.7%である一方、貯蓄なし、もしくは100万円未満の人が19.6%います。これらからもわかるように、団塊の世代は所得や資産の格差が大きく「団塊の世代は豊かな高齢者」というイメージは一部の人だけのことであり、年収や貯蓄額の低い人たちが一定数いることも事実です。
世代毎の傾向を知ると、互いにより良い関係性が築ける
世代毎の傾向がよく話題に上がるなか、団塊の世代にフォーカスして、実際彼らがどんな時代背景の中、生きてきたのかを確認してみました。封建的な価値観と欧米の影響の中で育った幼少期、彼らは自己主張しなければ埋もれてしまう状態でした。金の卵たちであった彼らのお陰で日本の高度経済成長がありました。所得倍増計画の中でも重要な役割を果たしてくれたのが彼らです。そんな彼らは中高年になり平成不況期で逆風にさらされ、豊かな人たちがいる一方、年収や貯蓄額の低い人たちもいる、格差が大きい状態となっています。団塊の世代の人たちは高度経済成長期、バブル期、不況期と数々の大きな変化の中を生きてきた人たちです。世代毎の傾向は良いとか悪いとかではありません。ただ単に彼らが生きた時代背景を反映しているものです。そして、別の世代同士、互いの傾向とその背景を知ることで、より良い関係性を築くことができるのです。