私たちは毎日生活していると、YesかNoでははっきりと答えがでない事柄に遭遇します。YesとNoで全て解決したならば、簡潔でわかりやすいのになあと思うこともあるかもしれません。しかし、日本社会では、はっきりした答えを相手に突きつけることで、お互いの関係がギクシャクしてしまうこともあります。
今回は日常の「答えのない問題」には、どのようなものがあるのか、そして答えのない問題に直面することで陥るジレンマについていろいろと見ていきたいと思います。
もくじ
世の中は答えのない問題にあふれているという事実
「これは○○ですか?」という質問であれば、YesかNoで答えを出すことができますが、全ての問題がそうとは限りません。むしろ、人生は明確な正しい答えがない問いが多いものです。思春期の若者を中心に、「自分はどんな人を理想とするべきなのか?」「生きることの目的は何なのか?」などの瞑想にふける人もいます。
しかし、このような問いかけを他人にしてしまうと、少し変わった人だ、と思われないかという不安が先行して、自分の心の中にしまい込んでいることが多いのかもしれません。しかし、このような答えのない問題に対して、誰もが一度は悩んだことがあるはずです。そして考えてしまうと、夜も眠れなくなってしまうのであまり考えなくなる、という現実もあるのです。
日本人はなぜ答えのない問題が苦手な人が多い?
国際的な視野から日本人の特徴を見てみると、決まった答えのあることを勉強したり、回答することに関してはとても優れていると言えます。計算や暗記などに代表されることは、得意でスピードが速いことが多いようです。しかし、ディスカッションを初めとした、自分の考えやプランを自由に作り発表する、といったような形式のものは苦手とする人が多いようです。これは一体どうしてなのでしょうか?その疑問についてここでは確認していきましょう。
義務教育では決まった答えを出すことが多い
日本人は、義務教育の中で決まった答えを導き出すということを徹底して、長年教育を受けてきました。算数や数学など、教科によってはきっちりとした決まった答えを導くことが求められます。または、4択など選択肢から答えを出すテスト方式などもあり、この場合は消去法などで答えを出してきたということも多いのではないでしょうか。
このような形式や暗記することをメインに勉強してきた私たち日本人は、一度でも答えがでない問題に遭遇すると、戸惑ってしまいます。答えというものは決まっていると思いこんでいることがその理由の一つなのです。また、自分の自由な発想で、答えを作り上げていくという作業に頭が慣れていない、ということも考えられます。
日本独特の文化は、和や協調性を重視している
答えのない問題を解いたり、人とは違う自分なりの考えを堂々と述べる、といった作業や行動が苦手という人が多いのが日本人です。このことは教育のシステムだけではなく、日本古来からの文化や伝統、習慣も関連しているのではないでしょうか?
日本は多くの村社会の集合体として発展してきました。そして農作をしていた集合体では、自分の主張を強くすることはタブーをされていました。周りの人に合わせる、協調性を持つということが全ての人に求められていたのです。これは、狭い国土の日本でたくさんの人間が争うことなく生活するための一種の知恵であったと言えるのです。この和の精神が現在もまだ生きています。
答えのない問題がメインの「哲学」から読みとる特徴
答えのない問題の代表格とも言えるのが、哲学です。哲学は大学などの専門課程で勉強した人のみが理解できる特別の教科だ、というイメージを持っている人も多いかもしれません。古くからヨーロッパでは哲学的な考えをすることが多く、フランス人などは特に「Non」から会話が始まり、相手をよく知るための手段としても使われているのです。
ここでは、代表的な哲学の実例を3点挙げていきます。哲学とは知らずに、聞いたことのある話だと思う人もいるかもしれませんね。それでは実際に内容を見ていきましょう。
哲学の実例と特徴:① 囚人のジレンマ
「囚人のジレンマ」というのはある状況下での2人の囚人の心理を表す重要な概念です。2人の囚人がどちらも沈黙を守り続けるか、または片方が罪を認めるか、どちらも罪を認めるのか、とうい選択肢がある中で、揺れ動く人の心理状態を表している理論です。
人は限られた情報と密室の空間の中では、どのような判断を下すか?ということですが、囚人たちにとっては2人が両方罪を認めずに軽い罪で刑罰を受ける、ということです。しかし相手の状況が見えない状況では「ジレンマ」が生じて、自分本位の選択をしてしまい、最善な選択ができなくなるのです。このようなジレンマの中では人は利己的な選択をする、ということが読み取れます。
哲学の実例と特徴:② トロッコ問題
トロッコ問題とは、イギリスの哲学者フィリッパ・フットによって提起された倫理学の思考実験のことです。1台のトロッコのブレーキが故障したことで暴走してしまします。トロッコが勢いよく進む線路の先は2つに分岐しています。一方には5人がいて、もう一方では1人の作業員が作業中です。この状況の中、分岐点のスイッチを動かす人物は、どのような行動を取るべきなのか?という実験です。
この実験は人間のモラルを示すものですが、「誰かを助けるために、他の人を犠牲にしてもいいのか」という答えのない問題にぶつかります。1人:5人の場合どちらかが優先されていいのか、人数で決めていいのか?という決断に対しての考え方が問われます。人のモラルが正しい・間違いだけでは判断できないことが見えてきます。
哲学の実例と特徴:③ マリーの部屋
「マリーの部屋」は、フランク・ジャクソンによる思考実験を表します。マリーは白黒だけしかない部屋で生れ、白黒のTVだけで育ちました。つまり生まれてから一度も色を見たことがないのです。しかしマリーは視覚の神経生理学の専門的な知識を持っています。これは、色がついたものを見たときに、目から神経、脳に伝わるまでどのような経路で伝わり、識別するのかというシステムを知識として持っています。
そして、議論に出てくるのが、マリーが部屋を飛び出して初めて色を見たときにどうなるのか?という問いです。これは、理論や勉強の知識、客観的な情報が、主観に対してどのようになるのか?という問題です。日本にも「百聞は一見にしかず」という諺がありますね。
「答えのない問題」が得意な人は国際的に活躍する?
欧米の人たちは小さい頃から、自分の意見をたくさん述べることを実践しています。そして、周りと答えや考えが違っても全く気にしません。そして、議論する機会もたくさんありますので、相手の意見に対して「私は違う意見だ。こう思う」ということを堂々と話すのです。大人になってからもこのスタンスは変わりません。講習会などではたくさんの人が手を挙げて意見を積極的に述べます。
結果的にその意見が少数派であっても、会の後に周りから「あなたの意見はいい意見だった」などと取り囲まれている姿をよく見かけます。「正解のない問題」に答えるために必要なことが哲学的思考法です。この考え方で教養が身に付くのです。グローバルな国際社会では通用する人間になるためにはこの思考が大切と言えます。
子供の頃からの哲学的思考は将来の役に立つ?
元々小さい子供は好奇心が旺盛です。しかし、徐々に周りの空気を読むことを覚えていきます。その中で「学校では自分の意見をはっきり言うべきではない」など、独特の羞恥心から年齢が上がるごとに、あまり積極的に発言しなくなる傾向があります。先生に指名され、初めて意見を言う子供も多いのではないでしょうか。
東京都では「子供のための哲学対話」を行ったことがあります。ここではボールを持った人だけが発言権があり、周りの人は必ず話している人に耳を傾けなくてはいけません。そして発言者は必ず一つの事に対して持っている、プラスのことを言わなくてはいけない、という形式です。ここで子供たちは、「こんなにみんながいろんなことを考えているなんて思わなかった。答えがないことはおもしろいね」という感想を持ったようです。このように意見を言い合う楽しさを味わう機会も出てきています。
まとめ
ここまで、答えのない問題についてさまざまな問題や方法、哲学の実例、将来への必要性などについて見てきましたが、いかがでしたでしょうか。普段は自分の中だけで行っている、答えのない問題に対して複数の人と話し合うことや、違った意見を交換するコミュニケーションは化学反応のように新たな解決策や考えを生み出すきっかけになるのです。
従来の日本社会では、このようなディスカッションはなかなかされてきませんでした。しかし、小さい頃から哲学的な考えや質問をしてきた海外の人たちと一緒に仕事や研究、コミュニケーションをとるときには、「答えのない問題」への考えをしっかり述べる力が必要なのです。