メンタル

「コミュ障だから辞めたい」はちょっと待って!今すぐ試せる3つの事

ネットを何気なく眺めていると「コミュ障」という言葉が良く出て来ませんか?自分のコンディションが良い状態であれば気にもなりませんが、人間関係に悩んでいるときに見てしまうと「自分はもしかしてコミュ障なのか?」と考え込んでしまうものですよね。今回はそんな「コミュ障」についてのお話です。特にコミュ障であることを理由に「仕事を辞めようかな」と考えている人は、コミュ障なら何をすれば良いのか?上手くやるポイントは?そもそも自分はコミュ障なのか?など、知っておいて損はありませんよ。

もくじ

コミュ障改善法3つ!これだけやってみてから「辞めたい」でも遅くないのでは?

「自分はコミュ障だ」と思ったら、これまでできていたことができなくなります。そんな自分に耐えきれなくなると「仕事を辞めたい」と考えてしまいますよね。もちろん、過度なストレスで心身が疲れ切っているのであれば、仕事を辞めてゆっくりと過ごすのも良いかもしれません。でも、ほんの少しでも「何とかならないものか」と思うのであれば、ちょっとしたことでも試してみませんか?それがきっかけで、元のリズムに戻ることもできるかもしれませんよ。

思っていることを言葉にしてみる「上手く話せなくて」で上手く話せるようになる

自分をコミュ障だと思っている人が苦手とすることの一つに「話すこと」があります。それなら、話す時に「上手く話せないんですけど」と一言添えてみましょう。相手は積極的にあなたの話を理解しようと工夫しながら聞いてくれます。あとは、あなたが伝えたいことを口に出すだけです。難しく考えるから伝わらなくなります。相手の力を借りながら、思っていることを伝えましょう。「自分が話したいことは自力で全て伝えなくてはいけない」というのは思い込みですよ。相手と協力し合いながら進めるのが会話です。しかも言葉というのは口にした瞬間に消えるものです。文字のようにいつまでも目の前にあるものではありません。失敗したっていいのです。

目を見ないことを気にするから相手も気になる!うなずくことに意識を向ける

「目を見て話さない」は話している相手が「伝わっているかな?」と不安になった時、あなたの視線を探すから見つかってしまうし、気になります。つまり、相手を不安にさせなければ良いのです。そのために一番簡単な動作はうなずくことです。しっかりうなずいてから「はい」「そうです」など、自分が口にできる短い言葉で対応してみましょう。

「相手の目を見て話す」ということができていない人はコミュ障でなくてもたくさんいます。特に日本人は目を見ることも、見られることも苦手です。よほど心を許した人なら別ですが、仕事上の付き合いで目をがっちり合わせて会話をするというのは難しいことでしょう。その難しいことをやろうとするから気後れします。

あなたの「辞めたい」にはまだ可能性が!「辞める」ことはいつでもできる

仕事を辞める、という決断をしようとしている人は「辞めることが全て」と考えてしまいやすいものです。辞めたいと思っていて、辞めるのですから、一見何の問題もなさそうです。でも「コミュ障だから辞めたい」と考えているのであれば、少し待ってください。コミュ障は「直り」ます。「治る」じゃないのは、あなたのコミュ障が病気ではないからです。辞めることはいつでもできます。今日頑張れそうなら「明日辞める」で良いのです。明日が頑張れれば、その翌日にしてしまいましょう。コミュ障は自分勝手な考えでそうなってしまうのではありません。相手に迷惑をかけたくない、相手に変な人がいると思わせたくない、など相手のことを思ってのことです。気を使いすぎるから、対応の仕方がわからなくなります。それだけ相手のことを気遣えているのなら、まだ辞めると決めなくても良いのではありませんか?

あなたが思う「コミュニケーション上手」とは?実はみんなポイントを知っているだけ?

世の中にはコミュニケーション上手な人がたくさんいます。誰とでも上手くやっていく人です。ナチュラルなようで、細やかな気遣いができる人もいますよね。そういう人を見ていると「自分はダメだ」と感じてしまう人は多いでしょう。しかし、そういう「コミュニケーション上手」と思われている人も、本人の頭の中は常に大忙しです。人目を気にして、いつも自分を客観視しながらコミュニケーションを取っています。ただ、それのポイントを知っているというだけのことです。それは逆に言えば「やりさえすれば、誰にでも身につく習慣」ではないでしょうか?

「目が合わせられない」ポイントは「その後の視線」を用意しておくこと

目を見るという行為は一瞬で完了します。問題はその後です。何となく気まずくなったり、反対に気持ちを確認できたり、という結果は、目を合わせた後に視線を自然に外すことができているかどうかで決まります。さりげなく自分の手元を見たり、景色を見たりしてみましょう。これは相手に「ずっと見られている」というプレッシャーをかけないための方法です。相手にかかるプレッシャーは自分にもかかります。

また、視線を外す時は目だけを動かさないようにしましょう。首を回して顔ごと違うところへ視線を外すことを意識すれば自然な動きになります。後は話しの区切りでチラリと視線を合わせる程度でOKです。難しければ「目を合わせた後は腕時計を触る」など行動の約束事を決めても良いでしょう。腕時計を触らなければ、と思うと意識が視線から手に移って、自然な視線外しがしやすくなります。

「口ごもる」のポイントは「はい」+「相づち」から始める

「言いたいことはあるけど、何と言えば良いかわからない」という人は、相手が話したことに対して、まずは「はい、そうですね」など、返事と相づちをセットで口から出しましょう。これは時間稼ぎです。話すことに慣れていない人は、一瞬で作文を作ろうとしているようなものです。でも相手は目の前であなたの言葉を待っています。会話の中では言葉のキャッチボールの間隔が0.5秒を過ぎると、違和感が出ます。そこで、0.5秒で何かしらの言葉を返さなくてはいけません。「うーん」でも何でも良いのです。その間隔が開いてしまうと、相手からのプレッシャーを感じやすくなります。「何か言わなければ」と焦るほどに、頭の中はフリーズしてしまうでしょう。「はい、そうですね」と曖昧ながらも返事をすれば、相手は次の会話を投げてきます。

「人目が気になる」のポイントは人目を気にすることが普通と知ること

人目は、誰でも気になるものです。むしろ「人目が気になる」は正常な証拠と言って良いでしょう。人に嫌われたくない、人に変だと思われたくないと思っている時点で、あなたは普通です。もちろん「人目を感じにくい人」はいるでしょうが、全く気にしない人はいません。あなたは人目が気になるのではなく、「人目を気にしている自分」が気になるのではありませんか?「自分はこんなに人目を気にしている」ということを気にしているのです。これは、あなたがそれだけ自分を客観的に見ることができているということでもあります。世の中の人は「人目が気になる」と感じているから、人前でおかしなことはしないのです。「人目が気になる」という言葉は、あまり良い意味には使われませんが実際はとても大事で正しいことですよ。

コミュ障にこれといった定義はない あなたは本当にコミュ障なのか?

「コミュ障」という言葉を調べても、特に定義などは存在していません。ネットスラングとして生まれた言葉が、一般的に使われているだけです。これは名詞です。通常名詞は、物があって名前が付きます。しかしこのコミュ障は先に名前があって、それに「自分は合っている」と感じる人がその名前を名乗ります。つまり、誰が名乗っても良いのと同時に、その本来の形が無いものなのです。これが「コミュ障」の危険なところです。

コミュニケーション障害とコミュ障は違う!コミュ障と決めることの危険

「コミュ障」はネット上や一般社会では「コミュニケーション障害」の略として使われています。しかし、この場合の「コミュニケーション障害」は病気の「コミュニケーション障害」のことを指しているわけではありませんよね。正式な病気として存在する「コミュニケーション障害」は、本人の意思や性格を原因とするものではありません。医師の判断で自宅から出ずに生活をしている人もいますし、病院で治療をしている人もたくさんいます。つまり「やろうと思ってもできないコミュニケーション障害」と「やろうと思えばできるかもしれないコミュ障」は根本的に違うのです。ところが、人間は日々自分に言い聞かせていると、そういう体になってしまいます。「自分はコミュニケーション障害と同じだ」と言い続ければ、気が付いた時には自分の意思でコミュニケーションをはかることができなくなっていますよ。

人見知りと医学的コミュニケーション障害の狭間にいるのが「コミュ障」

では「コミュ障」っていったい何なんでしょうか?「コミュ障」はしいて言えば、コミュニケーション障害と人見知りの狭間です。人見知りというには重く、コミュニケーション障害というには軽い、それに名前が付いたことで所属する人が増えたのです。名前が付くとわかやすいですが、その存在に形がないことでどっちつかずの立場です。でも、コミュニケーション障害は病気なので、希望したからといってその病気に所属することはできません。人見知りなら日々の過ごし方次第でなることができます。そこからさらに「昔は人見知りだった人」へ進むこともできるのです。コミュ障も人見知りも根本は同じです。問題は「自分はコミュ障」と言い続けたいか、言い続けたくないか、ではないでしょうか?

まとめ

「コミュ障」と決めるのはあなた自身です。「自分のことは自分がいちばん良くわかる」とも言いますが、そうでないときもあるのではないでしょうか?思い詰めると視野が狭くなります。視野が狭くなると、これまで見えなかったものが詳しく見えるようになるものです。その中には「見る必要が無いもの」も含まれています。それは「無意識」です。人間は行動のほとんどを無意識に行っています。視野を狭めて、無意識に目を向けすぎると、全てを意識的に行わなくてはならなくなります。無意識は脳が休むために必要なものです。これまでできていたことができなくなる、というのは「自分はコミュ障」という、その判断が間違っているからかもしれませんよ?

 

あわせて読みたい!